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ベルリンのジレンマ

ロゴ https://story.goethe.de/20231

かつての壁の跡にベルリンは立ち上がっているが、未だに壁が分かつこともある。例えばイーストサイドギャラリー沿いの不動産プロジェクトによってオルタナティブ・ライフの「聖地」が破壊されていることに眉をひそめる向きも多い。一方でかつての無人地帯には都市農園やエコ・ハウス、あるいはキャンピングカーとテントの集落が誕生している。ベルリンの魂は記憶と現代、ノスタルジーと進歩の間で揺れ動いている。
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絶え間ない騒音。イーストサイドギャラリーに沿って散策する観光客の目の前では毎日コンクリートと鉄骨の塊が地面から立ち現れる。この万年工事現場は最も有名なドイツ史の残骸――世界中の芸術家が色鮮やかにペイントした、1300メートルにわたるベルリンの壁――の真横にある。現存するベルリンの壁の中で最長を誇るこの区間は、シュプレー川沿いを縫うように走っている。信じ難いことだが、まさにここに、ベルリンにとっての将来のラスベガスが建設中なのだ。フリードリヒスハイン地区とクロイツベルク地区の間にあるかつての無人地帯には、すでにイベントホール、ショッピングセンター、高級ホテルなどが建っている。

すべては30年前に始まった。
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1989年11月9日、それまで東西に分断されていたベルリンは155キロメートル以上にも及ぶ壁や立入禁止区域から解放された。街の景観に残った壁という傷跡は、新しい土地を探していた建設会社にとっては金鉱となった。

「1990年代、市は完全に破産状態でした。」こう語るのは、20年以上ベルリンに住んでいる歴史家のニコ・ロルマンだ。「経済は崩壊しており、市は外から資本を呼び寄せるために何でもしたのです。」

一連の新しいプロジェクトによって、600億ドイツマルクに上る負債が返済できる予定だった。そのうちの一つがシュプレー川の岸辺にある巨大な工事現場だ。投資家と都市計画担当はこれを「メディアシュプレー」と呼び、出資者を募った。名前が示す通り、180ヘクタールに及ぶこの土地はメディアやコミュニケーション、新しいテクノロジー、やサービスに充てられることになっている。2002年に市議会に提示された後、プロジェクトは急速に進み、市の建設計画に盛り込まれた。

アメリカの億万長者フィリップ・アンシュッツがイーストサイドギャラリー沿いの土地の大部分を購入した。アンシュッツ王国は最高級のものを揃えている。巨大なメルセデス・ベンツ・アリーナ、2018年秋に開業するショッピングセンター「イーストサイドモール」の横にはベルリンでもトップクラスのタワーが建つ。モールはワルシャワ通り駅の向かい側にあってアクセスも良く、この新しく、若く、ダイナミックで、国際的にも評価の高いショッピング街の中心となる。

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ズザンネ・ヴィットコップフはイーストサイドモールを建設するフレオグループのプロジェクトマネジメント・アシスタントだ。
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ズザンネによれば、近隣住民はショッピングセンターを待ち望んでいるという。「近隣で広報活動を行いましたが、反響は大半がポジティブなものでした。」と彼女は説明する。

ところで、この建設プロジェクトについて語られる際、メディアシュプレーという単語はだんだんと使われなくなっていっている。プロジェクトとそれが当初引き起こした反対は、過去のものとなったようだ。「かつてはメディアシュプレーに対する大規模な抵抗運動があったと聞いていますが、今はとても静かです」とズザンネは締めくくった。

2000年代初め、住民は公共の土地の私有化と、投資家しか利益を得ない建設プロジェクトに注目を集めるため組織を作った。いくつかの参加企業に「スタート支援」として市議会から数百万ユーロが流れていたことも理由の一つだった。最も有名な住民の組織は「メディアシュプレーを沈めろ」だ。

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2008年、「メディアシュプレーを沈めろ」がイニシアティブを執った住民投票で、87%が反対の意思を示した。これは象徴的な勝利だった。というのも、このような住民投票は法的拘束力がなく、工事中・工事予定の巨大な建設現場はなにも変わらなかったからだ。

このような経緯で様々な箇所でベルリンの壁が壊され、例えば2013年、高級住宅建設のため川岸が私有化された。

「手段は限られています」と、自身も「メディアシュプレーを沈めろ」の活動に参加しているニコ・ロルマンは認める。「地方政府にはどうすることもできない国の法律があるからです。しかし何が起こっているか当局が理解するにもとても時間がかかりました。メディアシュプレー計画はその間に何にも縛られずに拡大できたのです。地元の住民の声は聴かれませんでした。」

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次々と立ち上がる建物に怖気づいてしまった住民もいる。しかし、様々な形で闘い続ける人々もいる。コンクリートとクレーンの裏で、周辺に追いやられた、もう一つの自由で芸術的なベルリンが生き残ろうとしている。

1989年の壁崩壊後、野原や使われなくなった工場跡などは芸術家、パンク好きやクラブ好きにとって真の遊び場となった。当時ベルリンは、世界中からお金のかからない、クリエイティブなライフスタイルに関心を持つオルタナティブな人々を惹きつけた。

新しいタイプの住空間が誕生した。かつての無人地帯では、空き家に住み着いたり、小屋を建てたりキャンピングカーに住んだりする人々にとっての黄金時代が花開いた。今日、変わりゆく街の最後の砦として、シュプレー川の両岸のわずかな場所や、壁が走っていたほかの場所にそのような空間は残っている。

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埃をおいて何もなく、草木も生えていないこのような土地の一つ、アルト・トレプトウ地区には人々が1991年からキャンピングカーを置いている。このようにしてローミューレは出来上がった。「土地を世話する人はもう誰もいなかったのです」と、この場所に初期から住むツォスカは言う。初めの頃、ローミューレも、人が住み着いたベルリンのあちこちの空き家で起きていたのと同じ問題と闘わなければならなかった。「暴力、アルコール、ドラッグの問題がありました。なので会合を開き、ルールを決めることにしたんです」とツォスカは振り返る。それ以来、最大で住めるのは20人と決められた。談話室は誰でも訪れることができるが、住空間はプライベートな空間として厳しく分けられ、柵で守られている。エネルギーは太陽光から得ていて、水は大きなタンクに溜めている。

土地はベルリン市が所有するが、住民は5年毎に更新される契約を結んでおり、そこに住むことが許可されている。「今の契約は2021年までです。その後追い出されるのではないかととても危惧しています。」とツォスカは打ち明けた。「あちこちで大きな住宅地が作られているのを見ていますし、市が私たちの土地を開発する計画をしていることも知っているんです。この土地は建物を建てられるからです。」

住民は、ニコ・ロルマンが詳しく調査を行った「カービー居住地」のように、居住地の解散が頭にある。小さな委員会を持ち組織化しているローミューレとは対照的に、カービーは2011年に個人所有の土地に設立された、ニコによれば「荒れたキャンプ」だった。そこにはホームレスや違法者、芸術家、外国人、難民などからなる多様な人々が住んでいて、問題となり得るような構成だった。2014年に起きた火災の後、居住地は解散させられ、住民は二度と戻ることができなくなった。

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キュヴリーの設立者フリーガーは2012年、新たな独自の居住地をスタートさせた。ティピーラントだ。今日では様々な国籍を持つ15人が、リサイクルされた物資のみを使って生活している。シュプレー川沿いを通る公共の遊歩道の横に作られたこの共同体は、キュヴリーでの問題から学び、共同生活についてのルールを設けた。小グループができることを防ぐため、同じ国籍を持つ人は2人までに制限、夜中0時をすぎたら騒音を立てない、ドラッグは禁止・・・

市の土地に留まれるため、ティピーラントの居住者たちはしばしば政治集会にでかけ、声を聞いてもらわなければならない。5年前からそこに住むミヒャは、この難しい任務を引き受けた。「僕たちは政治的ではないけれど、月に一度僕は市議会、緑の党、左派党と会合を持たなければいけない。僕たちのミッテ地区は今緑の党が多数を占めている。これは僕たちにはいいことだ。」

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ミヒャがティピーラントを案内してくれた。
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ティピーラントの隣人は、プライベート空間と共用空間とシュプレー川を臨む大きなテラスを持つ3軒の住宅だ。しかしこれらの建物はティピーたちに陰を落とすわけではない。反対に、彼らは助け合っている。シュプレーフェルトは10年前に誕生した共同体所有の住宅プロジェクトだ。屋上のソーラーパネルで発電し、電気の一部はティピーラントに流れる。土からもエネルギーを得ている。住宅の前に自動車は停まっておらず、自転車だけだ。「シュプレーフェルトは、メディアシュプレーに対する直接的な答えです」とプロジェクトの発案者で都市計画が専門のミヒャエル・ラフォンは言う。「当局は大企業が河岸を私有化することを奨励しました。そこで私たちは考えたのです。『何か代案はないか?』と。」

住民たちは、市から土地を購入し組合を作った。「当時ベルリンはまだ全く違っていました。今であればそのようなプロジェクトは不可能でしょう。地価が高騰したからです。」と彼は付け足した。

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新しく、人気で、多文化の首都としてベルリンは世界中から投資家や移住者を惹きつけている。住民は10年前から年間5万人ずつ増加している。

ベルリンは伝統的に賃貸の町だ。ベルリンの住居のうち80%以上が賃貸物件である。「ここへ引っ越してくる人は比較的高給で、高い購買力があります。しかしそのせいで、長くここに住んでいる人も高い賃料を払わなければなりません。そして彼らにはそれができないのです。これがジェントリフィケーションのスパイラルです。」ニコ・ロルマンは不安そうにこう説明する。彼の不安は根拠のない者ではない。2004年に比べ、ベルリンの物価は120%上昇しているのだ。

2015年、政府は市場の競争が激しいベルリンのような人口集中地域に、賃料高騰を押さえ込むための政策、いわゆる「家賃ブレーキ」を導入した。しかし実際には、各種の条件が揃わなければ適用されないこの法律は、問題を作り上げてばかりで、貸す方も借りる方も満足するものではなかった。

[2018年]4月には250以上の団体が抗議を行い、1万人から2万5000人のベルリン市民が不安を呼び起こすような価格爆発に対してデモを行った。プラカードで住民は怒りを爆発させた。「賃借人はレモンじゃない」「利益のための所有ではなく、人間のための家を!」

大企業の誘致によって、レストランでの食事など他の製品やサービスの価格も上昇する。「現地で活動をしている人と、グーグルやツァランドなどの企業がくることで町の地区がどれだけ変わるかについて話しました」とニコは言う。「彼は、爆弾を落としたのと同じくらい町は変わった、と言っていました。」

現在、ベルリンの1平米あたりの平均賃料は9から10ユーロだ。パリ(1平米あたり平均25ユーロ)やロンドンなど他のヨーロッパの首都に比べればこれでもまだ低い方である。

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ベルリンも結局は欧州の他の首都と似たようになるのだろうか?シュプレーフェルトのミヒャエルはそれは不可避だと言うが、ベリりん市民はまだ、ジェントリフィケーションを食い止めるチャンスがある。
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イーストサイドモールは、ホームページ上ではベルリンの様々な地区の人々が世代を超えて集まる場所として演出されている。そこには「東が西に出会い、若者が老人に出会い、過去が未来に出会う(ベルリンの壁の写真)、クロイツベルク地区がミッテ地区に出会い、ミッテ地区はフリードリヒスハイン地区に出会う」と謳われている。そしてイースト・サイド・モールの完成予想図を背景に「全てが出会う」と書かれている。メッセージは明確だ。ここは、皆が集まる場所なのだ。

オルタナティヴな居住地の住民に言わせれば、投資家たちはベルリンのクリエイティヴなイメージを利用するが、彼らこそが街の魂を壊している張本人なのだという。ティピーラントのミシャは「人々が混ざり合っていること、クリエイティヴィティーはベルリンの文化だ」と言う。だから彼らはこれからも寄付金によって運営される、無料のイベントを開催し続けたいという。例えば毎週土曜日にはジャム・セッションがある。「全ての社会階層の人が一緒になって音楽をする。路上で演奏してる人と、交響楽団の団員がね」と彼は目を輝かせて言った。

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「そこで起きていることは社会的・政治的な実験であり、集団的組織の新たな形態の発明と模索であり、環境ととり結ぶ関係、すなわち世界に住まい、世界を使う新たな方法の発明と模索である。」ジャーナリストのステファン・フカールは2018年4月、ル・モンド紙(リンク)にこう書いた。ここで彼が指していたのは、その大部分が警察によって立ち退きを余儀なくされたフランスにあるノートルダム・デ・ランドのZAD[英=ゾーン・トゥ・ディフェンド]だ。しかしこれはティピーラントやローミューレにも同じように当てはまる。5月には、かつての壁の近くにある別の居住地プロジェクトケーピが、「ZADとの連帯」と書かれた大きなプラカードを掲げた。「実験的な性格は常にありました。初めからです」と、ニコ・ロルマンは認めた。「とりわけ、エコロジカルな住み方に関してはそうでした。」

30年に満たない間に、ベルリンは大きな課題に直面した。失業との戦いと、経済危機の克服だ。ヨーロッパのスタートアップの首都と呼ばれるベルリンは、クリエイティヴな都市のモデルとして企業家を惹きつけている。しかしかつての無人地帯の両側に、新しい壁が建てられ始めているようだ。それは、対話をすることも、共生することもない二つの世界を隔てる壁である。

ベルリン。クールで、文化的で、オルタナティヴな街。そのイメージはまだ生きている。しかしそれを維持する人々なしでは、そのイメージも近いうちに昔の神話になってしまうかもしれない。

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コンセプトと企画:
マリーネ・ルデュク、コンスタンス・べナール

編集:
ステファニー・ヘッセ

翻訳と字幕:
マリオン・ヘルベルト

©︎2018ゲーテ・インスティゥート・フランス

この著作はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス表示-非営利-改変禁止3.0ドイツが適用されています。

ビデオタイトル:シュプレー川岸の眺め


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